プシュケ

きらめきをありがとう!

私の「担当」の定義

担降りして、そしてまたジャニオタ復活して、現「担当」ができるまでの話を書いていたら、そもそも担当ってどう定義して使ってる人が多いんだろうとふと考えました。そうしたら、まず先にそれを書かないと書けないなと思ったので、先に私の担当論を考えました。

担当と名乗るまでに至った経緯は、きっといろんなエピソードがあると思います。ぜひ皆さんのエピソードを知りたいです。ああそこで落ちたのか~!と読んでて楽しくて、私も見てみようってなる。そしてどんどん好きな子が増えていく。

 

「担当」って呼びかた、ジャニオタに戻った当初は気恥ずかしくて、ずっと苦手でした。だってなんか、そんなん無くてもいいし他に好きな子たくさんいて現場だって入るし…って思ってました。その気持ちは今も消えたわけではありません。でも、便利な記号だなと思い直しました。「誰々好きです」っていう自己紹介で事足りるのだけれど、その自己紹介と「〇〇担当です」っていう自己紹介、なんというか、その人に傾ける気合が違う気がする。私の感覚なのですが。それに私は違う。かけてる時間とお金が。

では、私が「担当」として決意をして腰を落ち着けるまでに至るには、理由が三点あります。かなり主観的なので不快に思われる方がいらっしゃるかもしれないのですが、あくまで<私が>「担当」を名乗るまでに必要な、納得です。

 

第一に、顔。

誤解を恐れずに言えば、顔は裏切らないと思っている。ジャニーズだもの。正直雑誌とかテレビとか、多くの人の目にとまる媒体において、顔が一番のアピールポイントじゃないですか。でもこれは完全に人それぞれ好みの問題だし、じゃあ顔がいいからってだけで推せるかって聞かれたら、断じてそれはない。私の場合は綺麗過ぎても困る。だってどれを手にとって見ても綺麗な顔だったら、出費がとんでもないことになりそう。スター*1とか怖い。どれが盛れてるとか盛れてないとかそんな…。それに、顔が綺麗じゃないから推せないとかそういうことではない。もう完全に自分が好みの顔かそうじゃないかなので、こればっかりは誰とも分かり合えないと思っている。

 

次にパフォーマンス。

歌とダンスは外せません。でもこれも本当に好みです。あの子の歌が、ダンスが嫌いとかそんなことはないけど、見たり聞いたりした時に、好きだと思ったら好き。直感です。たぶん、いろいろ勉強したりして理屈はつけられるかもしれないけれど、「これが好きなの!」という回答しかできない。でも何がどうでこうだから好きっていう分析からの理由づけは大好きです。人の考えを読むのも自分がするのも。話を戻して、このパフォーマンスに関しては上手い下手あっても、それが自分の目には魅力的に映っていれば、それでいいです。そりゃあ上手くはなってほしいのは当たり前だけれども。なので、こういうやり方をするから好きっていうのはないです。強いて言えば、その歌やダンスの感情表現が刺さるか刺さらないか。これもあまり分かり合えないな。

 

最後に考え方。

雑誌が一番考えを示してくれる媒体なのかなと思うのですが、そこで物事の考え方に触れた時に、言葉がすっと馴染むかどうか。たぶん私の中ではここが割と占めてる気がする。素人が演技論読んでどう思ったとか、仕事に関する姿勢がどうのこうの言っても、「お前は何をわかった気で言ってるんだ?」と突っ込まれてもしょうがないんですけど、発信されるものに対して、何かを思わずには考えずにはいられないです。そういう勝手な解釈はもうオタクだからしょうがないよゆるして。こんな記事書いてる時点でもうだめだから。まあとにかく、その発言内容に関して、私がどう信頼したり納得できるかです。信じて応援するって、すごいことですよね。どれだけお金を使うか、ということと同じくらい難しくて、苦しかったり嬉しかったりするんだろうと思うのです。好きだからただお金を使うんじゃなくて、心動かされてお金を払いたいのが正直なところ。やっぱりこれも分かり合えなさそうだ…

 

ざっと大雑把にくくって三点でした。「担当」と名乗ったことのある二人の共通点を探して見たところ、ここが一致してるかなあと思ったし、ジャニオタに戻ったとき、担当探しじゃないけれど、気になる人だけとりあえず追ってみたら「担当」という言葉は頭をよぎるけれども、いやそんな名乗るほど推せるかって言われるとそうでもないな…って思ってしまう自分がいた。なんだろうこのパートナー探しみたいな。だいぶ気持ち悪いな。

こんなごちゃごちゃ理由なんてつけないで、好きだ!って思った子を応援すればいいと思うんですよ。余計な問題ですよこんなのは。「担当」なんて名乗んなくてもいいじゃないと思ったりもするわけなんですが。だって私の重岡さんの第一印象なんて、「話し方が好き」ってだけでそこには何にもこれまでの定義づけとか関わってないですもん。そのあとパフォーマンス見て、「センターだったの!?」「この人好き!キラキラしてる!ずっと見てたい!」「変わった声だな」っていう、そこには何の裏表もない、見て感じた気持ちに、あれこれ理由つけて勝手に納得して優先順位を最上位にしてお財布の紐を緩めたりしてるだけで、本当に私の「担当」の定義ってめんどくせえなと思う。はっきり言えばいいのにね、「好きだから好き」ってね。

まあそんな私のどうでもいい「担当」定義や葛藤を「そんなんごちゃごちゃ考えんなや!」と言うかのように、あっという間に私の生活の一部になってしまったアイドル重岡大毅くんが、私の「担当」となるまでのお話は後日します。

 

以上です。いろんな方の記事を読んでいて、「担当」は視点の位置とおっしゃっている方がいて、その意見はかなり腑に落ちました。

*1:Hey!Say!JUMPの山田氏